かどの乾物屋のお話
「降る雪や明治は遠くなりにけり」過ぎ去りし歳月を偲び郷愁あふれる、昭和初期の名句ですが、爾来幾十年、明治はいよいよ遙かになりました。その明治の半ば頃、私共は神田で乾物屋を営んで居りました。
当時は未だ文明開化の名残り色濃くランプ、鉄道馬車、人力車等の時代で、往来では折々チョン髷姿も見かけられたようです。
「神田鍛冶町角の乾物屋で買った勝栗固くて噛めない返して帰ろう。返しに行ったら嬶が(上さんが)出て来て、噛んだもの(買ったもの)返せない。」
という早口ことばが何時頃のものか定かではありません。種々のバリエーションをもって全国的?に広まったのは、神田という地名と、カの字づくしの頭韻で歯切れよく響いたからでしょう。この早口言葉のモデルは実は当店ですが、このことばがどのような成り行きで私どもと結びついたかさだかではありません。テンポが快く小児の間にうたい囃された著名な文言ですが、当事者としては一寸複雑な気持ちで、子供心にも忸怩たるものがありました。ことば遊びとはいえ「固くて噛めない」「返して帰ろう」「買ったもの返せない」等、あたかも粗悪品を商い、因業な商売をしているかのように受け取られかねないからです。勝栗も本意ではなかったでしょう。勝栗の名誉のために申し述べます。近頃はすっかり忘れられてしまった食品勝栗は調理すれば美味しく、栄養価も高い、貴重な保存食です。昔から「勝って勝ち栗、よろ昆布」と稱されるように縁起の良い食品として珍重されて来ました。勿論、乾物ですから、干し固めて硬いのが身上なのです。
商人は生活の糧である扱い品を大事にします。良品を求め、産地を尋ね、吟味して仕入れ、それこそ愛し子を嫁がせるような気持で、お客様に手渡しし、喜ばれ重宝されれば、それが商売冥利というものでしょう。売り手と買い手、お互いに信頼と親しみがあって、商いが続いてゆきます。時に、余分なサービスはあらずもがなです。経験を一つ。毎日きまってザラメ(砂糖)を買いに来られるそば屋さんがありました。大切なお得意さまなので、ある時、計り量を増やして奉仕しようとしたところ「嬉しいがしないで欲しい。計って貰ったそのままを使っているので、量が違うと味が狂ってしまうから。」と言われ、気付かずにいた責任の重さをつくづく噛みしめたものです。
永年の乾物屋も戦時中の統制経済により廃業しました。大繁盛していたそば屋さんも今は商売替えしてしまいました。時代の変遷、地域の発展に伴い老舗が消えてゆくのは心淋しい限りです。しかし、昔の事柄も語りつがれ、郷愁を呼び覚ますことで、下町神田の良き伝統と文化が引き継がれて行くのだと思います。《 伊藤 裕 》