髙遠 和則町会長
When I was 20 ‘s (k3−①)
インタビューに寄せて
神田に生まれ育ち、幼いころから神田祭でお神輿を担いでいた、生粋の神田っ子である髙遠和則町会長。
名門日比谷高校を卒業後、米国のコロラド大学、同学大学院を修了されるという稀有なご経験をお持ちでもいらっしゃいます。
1ドル360円の時代に海を渡り、異国の地でコンピューターを学んだ会長の生活はどのようなものであったのでしょうか。また、町会長がこれからの神田に期待することは何なのでしょうか。
幼少期・青年時代にフォーカスし、インタビューをさせていただきました。
髙遠町会長のプロフィール
昭48年 6月 米国コロラド大学大学院修了後、米国に在住。
昭50年 9月 父経営の千代田ゴム株式会社に入社。
昭55年 4月 社長室長に就任。
昭60年 4月 専務取締役に就任。
平 4年 6月 代表取締役専務に就任。
平8年 5月 当社代表取締役社長ほか関連会社代表取締役社長を兼任し、現在に至る。
幼少期、学生時代について教えてください。
そのほかにも、蝶々や高山植物の研究なんかも小学校の頃から趣味でやっておりました。今、長野の方に世界各国の蝶が3000頭、箱にすると30箱ぐらい飾ってあります。オオカバマダラという渡りをする蝶がアメリカにおりまして、メキシコからカナダまで旅をするとのことで、びっくりしたこともありました。
コロラド大学での学生生活について教えてください。入学を決めたきっかけは何だったのでしょうか。
自然が一番良くて、山に囲まれた非常に素晴らしいところでしたので、この大学が1番いいかなという。やはり自然がコロラド大学を選んだ大きな動機だと思います。
自然の中でスポーツなどもされていたのでしょうか。
はい。スキーで大学のPhysical Education(体育)の単位も取得しました。スキーのメッカとも言われている、アメリカでは有名なところでしたので。父の影響で5歳からスキーを始めたので、スキーができる環境というのは大きなことでした。非常に楽しみました。
勉学のお話を聞かせてください。コンピューターとビジネスを専攻されていたと存じております。
アメリカから帰ってきて、コンピューターを自分でプログラムして、販売管理や経営管理をしました。学んできたことが活かされたかなと思いますね。コンピューターの技術は日進月歩ですので、今では息子の方が詳しいですが。
大学とは現在も交流があるのでしょうか。
大学の同窓会の会長をしております。まだ大学の同窓会の日本支部がなかったもので、先輩の方々と一緒に立ち上げました。向こうから総長や教授が来るときは私のところに連絡が来ますので、歓迎会や同窓会を開いたりしております。コロナ渦で一時は中断しておりましたが、一年に一度の間隔で開いておりました。
ご家族について教えていただけますでしょうか。
家内は長野のホテルに手伝いに来てくれておりまして、そこで知り合いました。彼女のお爺さんが愛知のご出身で戦艦大和の艦長をやっておりました。お父様も海軍の出身で海軍一家であったわけですが、私と出会ってから「海に行けない、山ばっかりだ。」と文句を言われております。
子供は女、女、男でして、1番下の長男が継いでくれました。私も社長業を40年近くしておりましたので、10月17日に社長交代をいたします。初代から私へと受け継がれている技術を、3代目である息子が革新に沿ってさらに高めてくれるでしょう。コンピューターに詳しくなって、それを実践して、いろいろなことを引っ張ってくれているので大丈夫だと思っております。長女や次女も関連会社で興味を持って堅実にやってくれています。ありがたいと思っております。
町会長を引き受けたきっかけは何でしょうか。
父も昔、町会長をやっておりました。私は小学校もこちらですし、住民票もこちらに置いております。ですからやはり神田という町には愛着があります。地域社会に貢献もしなくちゃいかんってことで引き受けました。幾分体調も優れないものでして、今年ぐらいでご無礼したいと思っております。
町会長として大切になさっていることは何でしょうか。
お祭りは地域の防犯という面でもとても重要なものだと考えております。特に神田祭は神田全体がお神輿を担いで住民が一つになる場所です。お祭りを通して、どんな方が住んでいるのかわかるというのは防犯の面でも有効だと思いますね。これから大きな災害も来るかもしれませんけれども、地域の皆さんの顔を知っていればそういう時にも良いかと思います。
伝統を愛して今を知る、温故知新を大切に、お祭りの際などには皆が助け合えるよう、中心になってまとめなくてはいけないのかなと思っております。
これからの神田に期待することはありますでしょうか。
今までもうまくやってきておりますけれども、やはり伝統や日本人の持つ粋を大事にしながら、そういうものを受け継いでいただければと思っております。神田祭を通し、神田の法人会、各町会の皆さんの意見を聞き、昔ながらのいい雰囲気を持った町を継続しつつ、もっとよくしていただければと思います。
神田は千代田区の真ん中でお隣には天皇陛下もいらっしゃいます。100年を超える伝統を持つ会社が集まる町でもある。そういう面でも神田はちゃんとしていかなきゃいけないなとは思っております。
また、やはり災害がいつ来るかもわかりません。常日頃から、政府や行政といった縦の糸と住民や町会といった横の糸をしっかり絡ませて、迅速に対応できるようにすれば、何があっても心強いだろうと思っております。神田というものの良さをこれからも続けていければいいと思っております。
編集後記
お忙しい中、インタビューを快く受け入れてくださった髙遠町会長。
自然や動物を愛する温かいお人柄、そして伝統を大切にしつつ、防犯や防災など、神田の未来にも心を配られている様子が印象的でした。
稚拙なインタビューであったのにも関わらず、一つ一つの質問に丁寧に向き合ってくださったことに心から感謝いたします。
神田鍛冶三町会の更なる発展をお祈りしております。
【文 鈴木美穂 光塩女子学院卒】
(Webby carenにて定期的に日経ビジネスを
キャッチアップしています。
URL.http// www.carenhouse.co.jp)